2005年 09月 11日
CRPを終えて。あたまを整理。
先週の土曜は、10/16本番の『踊りに行くぜ!!』のクリティカル・レスポンス(以下CRP)がありました。
CRPが開かれることによって 日頃観客から感想を聞く機会がなかなかないアーティストが 作品について観客から意見を聞ける機会があたえられます。 観客(返答者)もただやみくもに自分の感想をいうのではなく アーティストの意図をくんだうえで意見を言ったり アーティストも自分の意図を説明した上で客観的な意見を聞くことができます。 CRPは作品を成熟させるためにおこなわれるものです。 CRPの前にはショーイングをしました。 CRPやCRP後に主催者の方やYCAMの方々と話したことで ひっかかったり思ったこと。 先ずは自分が見せたかったことがが全くみせれていなかったことがよく分かった。 今回ダンス作品をつくるにあたって振りをつくる際、自分なりにシチュエーションなりを考えてから振りをつくっています。そう考えてつくること自体は別に悪くない。 問題はそれを表現しうるまで踊れていないということ。 ダンスを道具としてそのシチュエーションを表す作業には取り組んでいるけれども、 ダンス自体でそれを表現することができていない。 「踊ること自体が表現なのだ」(主催者の方の言葉。たしかこういう表現を使われていたと思います。)ということを意識しなければいけないなと思いました。 adviceとして、「本番までにとにかく躍り込め・通しを何度もしなさい」と言われました。 そうします。 ところでただ躍り込むだけじゃダメだなって思ってます。 以下の3つのことを意識して踊りたいと思います。 1つ目:空間・モノ・人への意識。 「モノと踊る」ワークショップの時に空間との関わり方・モノとの関わり方・人との関わり方というものを学び、 何度かダンス作品の相方と稽古中に共鳴できた感覚を実感できたのですが (コレができている時は動き出すタイミングとかが自然にあうし、雰囲気が出せるのです。なにも感じずに踊ると、いくら体が動いたところでそれは体操であってダンスではないんだなってWS時に先生が教えてくれた気がします。) CRPのショーイングでは共鳴できなかった。 ショーイングが終わってから直ぐさまでた2人のコメントは「あわなかったねー」というものでした。 これはいかん。人からどう見えた以前に踊っている自分たちができていないことを実感しているわけですよ。もっと共鳴しなきゃ。 逆にここを出せれば作品がよくなる可能性はあるわけです。 2つ目:目線と意識。 CRPで言われて気になった発言に「温度をもっているように感じれない人に見えた」・「人形みたいだった」というのがありましたが、こういう印象は嫌でした。 これは目線と踊っている時の意識をかえる必要があります。 ショーイングの際、目線に関してはどこをみているか分からない状態で踊っていて、終始ぼーとした状態でした。 目線のさだまらない状態で踊ったダンスでも構成やアクション・リアクションにおもしろみがあり、そこに焦点がさだまったダンス作品もあるけれども 自分たちのは今回の作品は違うな、と今更ながら気がつきました。 3つ目:振りができたきっかけ。体の新鮮さ。 振りができた時の体の新鮮さを忘れないようにしたいと思います。 CRPでいわれたことで気になった発言で「あなた達の踊っているものはうまく踊れないと話にならないような踊りだ。」というのがありました。 自分たちの踊りは、私がいくつかのWSをうけてそこで好きだった体の動かしの中で自分が体験した感覚をもとに振りができています。 私にとって影響を受けたWSの先生たちの動きは見ていてとても気持ちいいものだったし、うまくできた時は私自身動いていて気持ちいいのです。 ただ自分たちのダンスを観ている人にはその気持ちよさは感じれないという現実があります。練習しなきゃと思うと同時に思ったのですよ。 1度振りができてしまった後はその振りのフォームを覚えてしまっているわけで 振りができて踊っていくうちにそのフォームをもとに踊ろうとしている自分がいて、自分たちの振りはフォームでつくった振りではないから今はつまんないことをしているなって。 振りをつくる段階で試行錯誤している時はきつかったけれども振りをおっかけて踊る時よりも実は意外と面白かった気がします。 振りができたきっかけとなった体のリアクションを大事にしよう。
by mackimber
| 2005-09-11 22:27
| からだとダンスと
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